『車輪の下』これって、場合によっては 『車輪の下に』 と訳されることがある。 私から見ると、 「に」がはいるか入らないかで かなり印象が違う。 主人公は世の中のあらゆる規律と競争のなかで押しつぶされていく。 そのことに気が付かせてくれたのは 皮肉にも「自然体」という理想像。 そのために、理想と現実の自己矛盾に陥る。 車輪の下 こう考えるならば、 彼は車輪の下の矛盾を描写していたのだろうと思う。 理想と現実。 これを描ききることで、 規律と競争の世界が捉えようとしたのかもしれない。 車輪の下に こう考えるならば、 彼は車輪の下に矛盾を垣間見たのだろう。 もしかしたら、それ以上の恐ろしいものを。 それは、記述するのもおぞましいものなのかもしれない。 こんなとき、タイトルって大事だと思う。 その本のすべてをあらわす。 一種の記号。 形のない世界観に 唯一形を与えてしまう。 さて、ヘッセはどちらの意味を考えていたのだろうか? |